※本記事は、当社がこれまでに自治体や金融機関から受託して行ってきた事業承継の無料相談をもとに、ストーリー形式で再構成したものです。お話しくださったご相談者とその会社が特定されることのないよう、社名や人名を伏せ、記事に応じて内容の一部に手を加えています。登場する企業・人物は、特定の企業・個人を示すものではありません。
背景:後継ぎのいない、都内の小さな服飾雑貨メーカー
A社は、都内にある服飾雑貨の企画・製造販売会社です。社長自らがデザインした商品を海外の提携工房で手仕事により製作し、日本へ輸入して百貨店などへ卸すビジネスを展開してきました。丁寧なものづくりに根強いファンのいる会社です。
一方で、事業の規模は小さく、年商は1,000万円台から2,000万円前後。国内に従業員はおらず、外注スタッフが数名いるのみでした。社長は70代。取締役には高齢の母と姉が名を連ねるものの、実際は社長一人で経営を切り盛りしていました。配偶者も子もなく、親族にも社内にも後継ぎ候補はいません。「誰か、この事業の理念を守ってくれる人に継いでほしい。どう探せばよいのか」──セミナーをきっかけに、自治体の事業承継訪問相談につながったのが始まりでした。
相談の経過:買い手候補との交渉を「数字」で支える
M&Aのマッチングサービスを通じて出会ったのが、事業会社を経営するBさんでした。一度は断られたものの、再面談を経て海外の工房視察まで実現し、手応えは良好。ただしBさんには、工房を運営する現地法人の株式が現地マネージャー2名に分散しており、このままでは投資に踏み切れないという懸念もありました。
訪問相談の担当者が助言したのは、大きく2点です。ひとつは「数字を用いて具体的に話すこと」。決算が固まったら業績をロジカルに説明できるよう準備し、顧問税理士との定期的な面談を重ねて情報開示の姿勢を示すこと。もうひとつは「後継者を見つけ、育てること」。折しもアルバイトとして加わっていたCさんが、数字に明るく語学も堪能な人材だったため、Bさんが資金と全体マネジメントを、Cさんが実務面を引き継ぐという役割分担を視野に育ててはどうかと提案しました。社長も「それが理想」と応じています。
数か月後の2回目の訪問では、交渉の進展が確認できました。決算が確定し、高価格帯の新しい商品ラインも好調に推移。社長はBさんに対して「Cさんこそ後継者にふさわしい」と繰り返し伝え、社長からの借入金約900万円を返済していく方針や、帳簿上の懸案だった仮払金の処理も、顧問税理士の助言を得て前進していました。担当者は「そろそろM&Aの時期と契約を詰める段階です。社長交代の日を、年月日まで決めましょう」と促し、社長からは「会社の設立記念日を一つのターゲットにしたい」という意向が示されました。公的な補助金の活用も視野に、Bさんとの合意書の締結が次の課題となっていました。
転機:突然の訃報──それでも、承継は止まらなかった
その年の秋、社長が自宅で急逝します。担当者は、現地で大きな災害があったという報道を受けて安否を気遣うメールを送ったものの、約1か月返信がなく、社長の姪からの返信で初めて訃報を知りました。
姪は葬儀や相続の手続きを進めながら、買い手候補だったBさんと承継の話し合いを続けていました。Bさんに連絡を取ると、こう報告がありました。業務はCさんが中心となって運営しており、相続が完了し次第、予定通り自分が承継する。葬儀に参列して遺族に遺志を継ぐ旨を伝え、遺族の書面を携えて海外の工房にも説明に出向いた。資金繰りは厳しく、資金を入れなければ年内にも行き詰まりかねないため、時間との戦いになっている──。Bさんは自社のスタッフを連れてA社のサポートにも入っていました。
そして年の暮れ、承継は完遂されます。姪がいったん相続した株式100%を、Bさんが代表を務める会社へ名目的な価格で譲渡し、A社は同社の100%子会社に。Bさんが代表取締役に、Cさんが取締役に就任しました。先代が会社へ貸し付けていた約900万円は債権放棄され、Bさんは1,000万円規模の資金を会社へ投入しました。
翌春、担当者は「工房を見に来てほしい」という故人の生前の願いに応える形で、海外の工房を訪ねました。働き方や待遇の見直しといった改革を経ても、辞めた作り手は一人もいなかったとのこと。商品群の拡充や海外展開など、先代の夢を引き継ぐ挑戦も始まっていました。
この事例からの教訓
1. 後継者がいなくても、想いを外に開けば「継ぐ人」に出会える 親族にも社内にも後継者がいない状況から、セミナー参加、訪問相談、マッチングサービスの活用と行動を重ねたことで、理念に共感する買い手候補と実務を担う人材の双方に出会うことができました。
2. 情報開示と関係づくりの積み重ねが、万一のときに事業を守る 顧問税理士との面談、書類の提出、当事者間の三者面談。平時に積み重ねた開示と対話があったからこそ、経営者の急逝という緊急事態でも、関係者が「予定通り」承継を実行できました。
3. 承継の時期は「いつか」ではなく日付で決める 社長交代の期日を具体的に決めようという働きかけが、交渉を合意へと近づけていました。期限のない承継話は進みません。日付を置くことが、当事者の覚悟と準備を引き出します。
読者へのチェックポイント
- 親族・社内に後継者がいない場合、第三者への承継という選択肢を検討し始めていますか。
- 自社の理念や強みを、社外の相手に言葉で説明できますか。
- 決算書などの数字を、買い手候補に根拠をもって示せる状態にありますか。
- 顧問税理士など専門家と、定期的に情報を共有する場がありますか。
- 社長交代の時期を「年月日」のレベルで考えたことがありますか。
- 経営者に万一のことがあった場合、事業と承継の話し合いがどうなるか、想像したことがありますか。
事業承継は、経営者が元気なうちに準備を始めてこそ選択肢が広がります。この事例が示すのは、突然の別れさえも乗り越えられるだけの「準備の力」です。後継者がいないと感じたときこそ、事業承継士や公的な相談窓口に、早めに相談してみてください。
