※本記事は、当社がこれまでに自治体や金融機関から受託して行ってきた事業承継の無料相談をもとに、ストーリー形式で再構成したものです。お話しくださったご相談者とその会社が特定されることのないよう、社名や人名を伏せ、記事に応じて内容の一部に手を加えています。登場する企業・人物は、特定の企業・個人を示すものではありません。

背景:株式は譲り受けた。しかし土地と建物は先代名義のまま

C社は都内で包装資材の製造を営んできた会社です。取締役を務めていた兄が約2年前に他界し、この年の夏、弟であるDさんが父から全株式を譲り受け、代表取締役に就任しました。

Dさんは個人事業と別会社を通じて、スポーツ関連の団体や大規模イベント向けのグッズの企画・デザイン・販売管理を長年手掛けてきた人物です。その強みを活かし、承継した会社では従来の包装資材製造から、レーザー加工機などを導入したイベントグッズ製造への業態転換を計画していました。自治体の事業承継関連の補助金を活用し、数百万円規模の設備投資を行う構想です。

一方、財務面では兄の他界後の混乱もあって直近は赤字傾向。税理士を変更したばかりで、決算数値の整理も追いついていませんでした。そして何より、工場兼自宅の土地・建物が80代の父の名義のままで、相続対策が全く手つかずだったのです。Dさんは自治体の事業承継訪問相談を利用し、専門家の訪問を受けることになりました。

相談の経過:納税通知書が家族を動かした

初回の相談で、訪問相談の担当者はまず事業計画づくりを後押ししました。「誰に」「何を」「どう売るか」が明確なため、内製化による利益率向上を数値化すれば説得力のある計画になると助言。同時に、最大のリスクとして不動産の相続問題を指摘しました。推定相続人はDさんと、亡くなった兄の子どもたち(甥)。遺言書がなければ不動産が共有状態となり、事業継続に支障をきたす恐れがあります。担当者は、父の健康なうちに承継方針を明確にすること、甥たちの遺留分に備えた代償金の準備が必要なことを伝え、父を交えた話し合いを勧めました。専門家を「うるさい第三者」として使い、父に切り出すきっかけにしてほしい、とも添えました。

2回目の相談では、事業面の実現性が具体的に確認されました。プリンターと加工機の導入で外注していた工程を内製化し、即日納品や小ロット対応を武器にする計画です。数十名規模のスタッフを確保できる体制もあり、実現性は高いと評価されました。一方で、売上計画が関連会社への卸売にほぼ全面依存している点や、営業への苦手意識が課題として整理されました。

転換点は、父が同席したこの日の面談で訪れます。担当者が固定資産税の納税通知書という客観的な資料に基づいて試算すると、不動産の評価額は8,000万円台。甥たちから遺留分を主張された場合、数千万円規模の現金が必要になるリスクが数字で示されました。甥たちの母である義姉とは長く関係が途絶えており、父自身も、義姉やその影響下にある甥たちは権利を主張してくるという認識を示しました。担当者は、形式不備や紛失のリスクがある自筆証書遺言ではなく、公正証書遺言の作成を強く勧めました。

展開:明らかになった負債。「守り」はよりシビアな局面へ

3回目の相談で、状況はさらに厳しい事実を突きつけます。父の資産状況を確認したところ、1,500万円を超える個人的な借入の残債があり、毎月十数万円の返済が続いていることが判明したのです。不動産の価値が高い一方で、現預金や生命保険は極端に不足。遺留分への備えとなる現金の確保は、極めて困難な状況でした。このまま相続が発生すれば、事業基盤である不動産を売却して精算せざるを得なくなる恐れがあります。

担当者は、現金不足をすぐに解決することは難しくても、少なくとも「不動産を後継者に相続させる」旨の公正証書遺言を作成し、不動産の共有化を防ぐことが最優先だと強調しました。父の借入も相続の対象となるため、プラスの財産とセットで引き継ぐ形を整えること、将来の選択肢として不動産の売却による負債整理も視野に入れることを説明しています。

事業面では、補助金に年度内の事業完了という期限があるため、資金調達の目処と設備の納期を見極めたうえで、今期に申請するか翌期に見送るかを判断する方針を確認。公的な融資制度の相談窓口に早急に足を運ぶこと、計画書づくりには生成AIを活用して効率化することを助言し、次回は融資相談の結果を踏まえて遺言書の具体案を詰めることになりました。

この事例からの教訓

1. 株式の承継だけでは、事業承継は完了しない この事例では株式の譲渡と代表交代は済んでいましたが、事業に不可欠な土地・建物は先代の名義のままでした。事業基盤となる資産が誰の名義か、そのままなら相続で何が起きるかまで確認して、はじめて承継の全体像が見えてきます。

2. 客観的な数字が、先送りされてきた話し合いを動かす 長年手つかずだった相続対策が動き出したきっかけは、納税通知書に基づく評価額とリスクの試算でした。感情的になりやすい家族の話し合いこそ、公的な資料と数字を土台にすることで前に進みます。

3. 「攻め」と「守り」は同時並行で進める 新事業への投資と相続対策は、どちらかを終えてからもう一方に取りかかるものではありません。この事例でも、事業計画づくりと遺言の準備を並行して進めたからこそ、負債の存在という重要な事実に早い段階で気づくことができました。

読者へのチェックポイント

  • 事業に使っている土地・建物の名義を確認しましたか。
  • 先代や親の資産だけでなく、借入などの負債も把握していますか。
  • 相続人の範囲(亡くなった兄弟姉妹の子を含む)を確認しましたか。
  • 遺留分を主張された場合に備える現金や保険はありますか。
  • 遺言書は、確実性の高い形(公正証書遺言)で準備されていますか。
  • 補助金の活用は、事業の完了期限から逆算して資金計画を立てていますか。

事業承継は、会社の代表や株式を引き継ぐだけでは終わりません。事業を支える資産と、その裏側にある家族関係や負債まで含めて初めて「承継」といえます。手遅れになる前に、事業承継士や公的な相談窓口を活用し、攻めと守りの両輪で備えを進めていきましょう。