※本記事は、当社がこれまでに自治体や金融機関から受託して行ってきた事業承継の無料相談をもとに、ストーリー形式で再構成したものです。お話しくださったご相談者とその会社が特定されることのないよう、社名や人名を伏せ、記事に応じて内容の一部に手を加えています。登場する企業・人物は、特定の企業・個人を示すものではありません。

背景:突然の相続で経営を引き継いだ二代目

首都圏で、食品メーカー向けの生産設備を専門に手がけてきた小規模な製造業の話です。長年、創業者である父親が陣頭指揮を執り、取引先からの信頼も厚い会社でした。しかし父親が90代で急逝し、長女がこの会社の代表取締役を継ぎました。長女はもともと経理を担当し、30年にわたってこの会社に勤めてきた人物です。

父親の逝去から半年ほど経った頃、自治体の事業承継相談に持ち込まれた最初の相談では、長年二人三脚で仕事を回してきた業務提携先から事業継続を求める強いプレッシャーがあり、新社長は戸惑いを感じている様子だったといいます。会社には1,500万円ほどの長期借入も残っており、今後数年をかけて返済していく必要がありました。

相談で整理されたこと:会社の中に眠る「情報」という資産

約1か月後に行われた2回目の相談では、状況がより具体的に整理されていきました。

この会社で最も大きな課題として挙がったのは、部品の特定方法、図面の所在、仕入先や外注先との過去のやり取りなど、実務に関わる情報の多くが前社長の記憶だけに頼っていたことです。10年以上前の部品や修理の問い合わせが来ることもあり、そのたびに伝票や請求書を探しながら対応する状態が続いていました。当時取引していた仕入先の中にはすでに廃業している先もあり、以前と同じようには対応できないケースも出てきているとのことでした。

会社の売上は年によって大きな振れ幅があり、2,000万円程度の年もあれば400万円程度の年もあったといいます。直近では、前年に2,000万円程度あった売上が今年は400万円程度まで落ち込んでいました。従業員と呼べる人はほとんどおらず、パート従業員が資料整理などを手伝い、社長の母親も週に数回、雑務を手伝っているという状況でした。

借入については、コロナ禍の無利子融資が中心で、1,000万円程度の借入は近く完済予定、別に500万円程度の借入が数年先まで続く見込みでした。返済自体はなんとか続けられる見通しである一方、今後の追加借入は難しいと感じているとのことでした。

さらに、社長には娘が一人おり、自分に何かあったときに、整理されていない会社や資産・負債をそのまま娘に残したくないという不安も語られました。また、社長には妹が複数人おり、配偶者が養子として入っているという家族構成もあり、将来、母親の相続が発生した際に家族間で財産の扱いをめぐる問題が生じる可能性も懸念材料として挙げられていました。

専門家の助言:情報の価値を守りながら、段階的に整理する

1回目の相談時点では、技術情報や図面をどう「お金に換えるか」という交渉戦略に重心を置いたアドバイスがなされていました。しかし2回目の相談では、まず現状を正確に把握することの重要性が強調される形に変わっています。

助言の柱は次のようなものでした。

  • 会社に残る図面、伝票、請求書、仕入帳、外注先情報などを整理し、可能な範囲でデータ化すること。紙のままでは将来の引き継ぎや会社整理の際に扱いにくく、データ化すれば知的資産として活用しやすくなる
  • 長く会社に関わってきた人の記憶にも価値があるため、聞き取れるうちに記録として残しておくこと
  • 過去の取引先から情報提供や修理対応を求められた際に、無償か有償かをあらかじめ線引きしておくこと。求められるまま対応するのではなく、保有する資料やノウハウそのものに価値があるという認識を持つこと
  • 借入返済のスケジュールを確認し、負担が軽くなる時期以降の資金繰りを見通しておくこと
  • 母親の相続や家族関係の整理も、会社の整理と並行して進めておくこと

そのうえで、急いで廃業するのではなく、既存の取引先対応を続けながら段階的に会社を整理していく方向性が現実的であるという見立てが示されました。担当者は、経営者自身の意思が固まるのを待ちながら、実務面の支援を続けていく考えを示しています。

この事例から学べること

この事例が示しているのは、経営者の頭の中にしかない情報こそが、会社にとって最も守るべき資産になり得るということです。相続によって経営者が急に交代する場合、後継者は数字や契約書だけでなく、こうした「見えない情報」を引き継がなければなりません。

  • 図面・取引履歴・仕入先情報などは、経営者本人の記憶に頼らず、早いうちから記録・データ化しておく
  • 長年の取引先や協力会社との関係は、対等な条件を整理し直す好機として捉える
  • 会社の整理と個人・家族の相続は別々に考えず、あわせて逆算しながら準備する
  • 廃業や事業縮小を選ぶ場合も、既存顧客への対応を続けながら段階的に進める方が現実的である

事業承継は、後継者が決まった時点で終わるものではありません。特に相続による急な交代の場合、「何がどこにあるか」を整理すること自体が、承継の最初の一歩になります。