当事者意識とは何か
後継者塾で将来の経営者と接していると、当事者意識について考えさせられる場面が多くあります。辞書を引くと、当事者意識とは「自分自身が、その事柄に直接関係すると分かっていること。関係者であるという自覚」とあります。類義語には主体性や責任意識、反対語には傍観意識や無責任といった言葉が並びます。
これらを踏まえると、経営者が持つべき当事者意識とは、「会社に積極的に関わり、自分の意思や判断に基づいて責任を果たそうとすること」と言えるでしょう。言葉にしてしまえば当たり前のことで、異論を挟む余地はありません。しかし、若い経営者や後継者が実際にこの当事者意識をどう捉えているのか、不安を感じる場面が増えてきました。
SNS時代の「正しさ」という無責任
現代はSNSの時代です。誰もが気軽に自分の意見を世の中に発信できるようになりました。かつては、飲み会で気の置けない仲間に自分の「正しさ」をぶつける程度で済んでいたものが、今では一人が叫んだ「正しさ」があっという間に拡散し、大きな世論を形成します。それが政治家を辞任に追い込み、企業の株価を急落させることさえ現実に起きています。
辞任した政治家も、株価を落とした企業も、正しかったかと問われれば、確かに正しくはなかったのでしょう。だからこそ制裁を受けたのだと思います。しかし筆者は、そこまでの仕打ちを受けるほどの事案だったのかと考えると、そうではない場合の方が圧倒的に多いと感じています。
一方で、「正しさ」を拡散し、相手に責任を取らせた側は、どれほどの責任を自ら負っているでしょうか。言うだけ言って、あとは傍観者に回ってはいないでしょうか。傷つくことのない安全な場所から、自分の正義感に酔っているだけではないか。そこに当事者意識はあるのか、と問いたくなります。
「正しい」と「適切」は同じではない
若い経営者や後継者に当事者意識への不安を感じる大きな理由の一つは、彼らがあまりに多くの「正しさ」を知りすぎていることにあると筆者は考えています。教育を受け、一般教養や政治経済、経営学やマーケティング理論を学び、社会に出てからも新聞や書籍、インターネットを通じて大量の情報に触れる。そうして身につくのが、会社とはこう在るべき、経営者とはこう振る舞うべきという、世の中が説く「経営の正しさ」です。
その物差しで自社を見ると、「正しくない」点がいくつも見えてきて、それを否定し、正そうとする。そうした場面に立ち会うことが少なくありません。もちろん、その指摘のすべてが誤りというわけではありません。しかし、世の中的な正しさだけで自社を判断するなら、それは誰にでもできることであり、経営者としてはむしろ無責任だと筆者は考えます。その結果、会社を傾かせてしまっては、「正しいことをした結果です」と言ったところで、責任転嫁にしかならず、言い訳にすらなりません。SNSの中の無責任な正義感と、根は同じです。
経営者が判断の基準とすべきは、世の中的な「正しさ」ではなく、自社にとって一番「適切」なのは何かという視点です。黒に限りなく近いグレーであっても、会社が存続・成長し、社員の生活を守っていけるのであれば、それを選択するのが経営者の役割です。世の中の考え方から外れているとわかっていても、自社にとっての「適切さ」を探し続けること。それこそが、経営者の当事者意識だと筆者は考えています。
後継者が磨くべき視点
後継者の教育においては、経営のセオリーという世の中的な「正しさ」を学ぶと同時に、自分の会社「らしさ」を学ぶことも欠かせません。この両方を身につけて初めて、自社にとっての「適切さ」を探し出せるようになります。机上の理論だけでなく、経営の現場で実際に役立つ判断力を養うこと。それが、後継者に当事者意識を根付かせる近道だと筆者は考えています。