※本記事は、当社がこれまでに自治体や金融機関から受託して行ってきた事業承継の無料相談をもとに、ストーリー形式で再構成したものです。お話しくださったご相談者とその会社が特定されることのないよう、社名や人名を伏せ、記事に応じて内容の一部に手を加えています。登場する企業・人物は、特定の企業・個人を示すものではありません。

背景:代表者の入院をきっかけに見えてきた属人化

首都圏で長年続く金属製品の製造業のケースです。現在の代表者は先代から事業を引き継いで数十年になり、職人としての技術を受け継いできました。もともとは問屋を通じた受注が中心でしたが、近年はホームページ経由の注文やカード決済への対応、専門用途向けの受注なども増え、これまでのやり方だけでは対応しきれない場面が出てきていました。

転機になったのは、対外的な窓口を担っていた従業員の退職と、その後まもなく起きた代表者自身の病気による入院でした。受注内容や納期、価格、仕掛かり中の案件の状況といった情報が、すべて代表者本人の頭の中にしかない状態だったため、周囲がとっさに把握できないという課題が一気に表面化しました。

代表の配偶者が中心となって受注表や価格表、取引先ごとの売上表を整理する取り組みを始めていましたが、最終的な判断を代表本人から引き出すことや、品質・価格に関する最終確認の仕組みには不安が残っていました。今回、この配偶者からの相談をきっかけに、自治体の事業承継相談窓口を利用することになりました。

相談で整理されたこと:技能承継と経営の見える化という二重の課題

初回の面談では、現状を整理する中でいくつかの論点が浮かび上がりました。

  • 健康状態と意思決定:病気の後も現場に関わり続けているものの、受注や価格、納期、品質に関する判断を都度求めるのが難しい場面があること。品質に不具合があると分かっていながら出荷してしまった経験もあり、最終確認の体制を見直す必要があること。
  • 受注・価格管理の属人化:電話などによる昔ながらの受注のやり取りが残り、注文内容や見積り、進捗が書面に残らないリスクがあること。材料費や作業時間、難易度を踏まえた価格設定の仕組みが整っていないこと。
  • 技能承継の緊急性:重要な工程を90代の親族が担っており、その技能の承継が急がれること。親族の中に後を継ぐ候補者はおらず、現実的には30代の従業員が候補となり得るものの、経営者としての責任や収益性、作業場の使用権といった課題を整理する必要があること。
  • 収益性と不動産:年商は1,000万円台後半程度とみられるものの、後継者が生活していけるだけの利益が出ているかどうかは、まだ客観的に整理されていないこと。加えて、作業場を兼ねる住居が親族との共有名義になっており、将来の相続で持分が分散するリスクがあること。

これらの課題は一見バラバラに見えますが、実は「情報とお金と技能が、特定の個人に集中している」という一つの構造から生まれているという点で共通していました。

専門家の助言:役割分担と、承継ありきにしない進め方

相談の中では、次のような方向性が助言されました。

  1. 役割の整理:代表に今から経営管理全般を新たに担わせるのは現実的ではないため、代表は職人としてできる範囲に集中し、配偶者が経営管理面を整理していくという分担も一つの選択肢であること。すでに始めている受注表・価格表・取引先別売上表の整備や、日々の連絡の場は有効な取り組みであり、継続すべきであること。
  2. 財務と価格の見直し:確定申告書や取引先別の売上、主要な商品ごとの材料費・作業時間、固定費を整理し、どの商品・取引先で利益が出ているのかを把握すること。長年価格を据え置いている場合は、コストに見合った価格改定を検討すること。
  3. 承継候補者との対話:従業員承継の候補者がいる場合は、本人の意思や技能の習得状況、経営責任を引き受ける覚悟を丁寧に確認すること。外部の商工団体や自治体の経営相談、後継者向けの財務セミナーなども活用し得ること。
  4. 不動産と選択肢の整理:共有名義の不動産については、作業場の使用権や賃料、将来の移転可能性を別途整理しておく必要があること。承継を前提にせず、事業規模を縮小して続ける、一部を暖簾分けする、あるいは廃業するという選択肢も含め、1〜2年程度で方向性を判断していく進め方が現実的であること。

この事例から学べること

この事例が示しているのは、後継者の有無以前に、まず「今の事業の実態を、経営者以外の誰かが把握できる状態にする」ことの重要性です。長年一人で受注から価格決定まで担ってきた経営者ほど、その情報は本人の頭の中にしか存在しないことが少なくありません。健康上の変化は、誰にとっても予測しきれないタイミングで訪れます。

また、親族に後継者候補がいない場合でも、従業員承継という選択肢はあり得ますが、それを検討するためには、まず事業の収益性を客観的な数字で把握しておく必要があります。感覚的な「儲かっている・いない」ではなく、商品ごと・取引先ごとの採算を可視化して初めて、従業員に経営を引き継げるかどうかの判断材料がそろいます。

事業承継は、後継者を決めることがゴールではなく、承継するかどうかも含めて選択肢を洗い出し、期限を区切って判断していくプロセスです。今回のケースでも、まずは経営情報の見える化から始め、1〜2年をめどに方向性を判断していく進め方が助言されました。自社の状況を誰か一人が抱え込んでいないか、日頃から点検しておくことが、いざという時の選択肢を広げることにつながります。