※本記事は、当社がこれまでに自治体や金融機関から受託して行ってきた事業承継の無料相談をもとに、ストーリー形式で再構成したものです。お話しくださったご相談者とその会社が特定されることのないよう、社名や人名を伏せ、記事に応じて内容の一部に手を加えています。登場する企業・人物は、特定の企業・個人を示すものではありません。
背景:創業者の名前そのものがブランド
首都圏の住宅地に店を構えるC社は、伝統工芸品の製造・販売と修理・メンテナンスを手がける、業界で名の知られた店です。創業社長(70代後半)は業界で名の知られた職人で、プロの愛用者もいます。自社所有の建物に店舗と工房を構え、かつては店内でイベントを開いていた時期もありましたが、感染症の流行を機に中止したままになっています。
従業員はおらず、社長が経営と技術全般を、社長の妻が経理・財務を担っています。後継者のDさんは社長の長女の婿で、入社から25年ほど、職人としての修行を積みながら販売管理と店舗全般を任されてきました。
相談で整理されたこと:なぜ交代を急がないのか
自治体の事業承継訪問相談の担当者は、これまでも「株式の移転は早めに」「代表交代もそろそろ」と社長に伝えてきました。社長はその場では耳を傾けるものの、まだまだ元気であり、「いずれは譲る」としながら時期の明言は避けてきました。
一方で、後継者のDさんの側にも交代を急がない事情があると担当者は見ています。技術的にまだ未熟な点が残っていること。何より、創業者の名前で顧客から指名が入ってくるという現実があること。そして社長が退く際には、経理を担う社長の妻も同時に退くことが予想されることです。社長が元気なうちはむしろ代表のままでいてほしいという後継者側の要望もあって、こうした状態が続いているとみられます。
専門家の助言:猶予は「準備のための時間」にする
担当者は、経営者と後継者が合意しているのであれば、創業者の名前というブランドを活用するうえでも、交代を遅らせること自体を否定しない、と伝えました。ただし積極的に勧めるものではなく、猶予期間には条件がある、という整理です。
第一に、技術の完全な習得は早急に進めるべきであること。第二に、従業員がいないままでは、中断しているイベントの再開や販路の拡大まで手が回らないこと。Dさんの妻(社長の長女)に経営へ参画してもらい、社長の妻に代わって経理を担ってもらうよう働きかけるなど、経営体制づくりの準備を進めることが重要だと指摘しました。
第三が株価です。会社が土地建物を買い取ったのは、株式市況も不動産市況も大きく落ち込んでいた時期でした。当時より株式の価値は上昇しているはずです。経営者側には、数年前に株価算定を受けた際は株価が1,000万円前後だったという記憶がありましたが、担当者は不動産価値を考えればそれほど安いとは考えにくいとして、最新の情報に基づく簡易株価算定を提案しました。
この事例からの教訓
1. 「交代を急がない」と「先送り」は違う この事例では、経営者と後継者の双方が納得したうえで交代時期を遅らせる方向が確認されています。ただしそれが許されるのは、技術承継・体制づくり・株式対策という宿題を猶予期間に進めることとセットの場合です。合意も準備計画もない現状維持は、単なる先送りにすぎません。
2. 株価は古い記憶で語らない 不動産を市況の底の時期に取得した会社では、市況の回復とともに株式評価が大きく上がっている可能性があります。数年前の算定結果の記憶のままでは、株式移転の計画を誤りかねません。承継の設計は、最新の株価算定に基づいて行うことが大切です。
読者へのチェックポイント
- 現経営者と後継者の間で、交代時期についての考えを率直に話し合えていますか。
- 技術やノウハウの承継は、社長交代を待たずに進めていますか。
- 経理・財務など、現経営者の家族が担っている業務の引き継ぎ先を考えていますか。
- 現経営者の名前や信用に頼らない事業の担い手・体制づくりに着手していますか。
- 株価算定は、直近の資産価値を反映した最新のものですか。
社長交代の時期に唯一の正解はありません。大切なのは、その時期を当事者同士の合意で決め、交代までの時間を「準備のための猶予」として使い切ることです。迷ったときは、自治体の訪問相談など公的な窓口で、進め方を一緒に整理してみてはいかがでしょうか。
